【第5の習慣】理解に徹する習慣は、子供との会話に特に有効です!

本当の内情への理解


こんにちは、ゆきじゃ(@yukizyajbcc)と申します。

本記事では、7つの習慣という名著のうちの第5の習慣、「まず理解に徹し、そして理解される」に関する詳細記事となっております。

特に、子供と接する機会の多い母さん父さんとかは、なかなか子供が言うことを聞かなくなったとかで色々と悩んでしまうことが多いことでしょう。

7つの習慣著者によると、この習慣が他の習慣よりもすぐに実行しやすい習慣であると述べていることから、この「まず理解に徹し、そして理解される」というスキルを今すぐ磨くことが出来れば、子供との会話の頻度が少なくなった時に、この習慣が一番の効果を発揮することは間違いないんじゃないかと僕は思いますね~

またツイッターの方でも、定期的につぶやくbotを使って以下のように呟いたりもしております。

ここからは、第5の習慣の一部概要の他、父親と子供の会話を例に、共感による傾聴をするのとしないのとでは、会話にどのような違いが出るのかなどを中心に述べていきます。

※中盤辺りに、7つの習慣で書かれてあった父親と息子の会話例をそのまま載せておりますが、あまりにも長いので、この部分は飛び飛びで見る感じでOKです^^;

第5の習慣は、共感によるコミュニケーションの原則である。

第5の習慣共感によるコミュニケーションの原則

見出しの題名どおり、7つの習慣によれば、第5の習慣は、共感によるコミュニケーションの原則であるというふうに述べられております。

私たちは日々の日常生活の中で、何かしらの問題が起こると、その場で何かしらのアドバイスをもらってすぐに解決しようとすることが多いかと思います。

例えば、勉強嫌いの子供と接する際に、「お姉ちゃんも頑張っているからあなたも頑張りなさい。」というふうに、子供の本当の気持ちを分かろうとせず、すぐその場で片付けることとかも一つの例かと思います。

このように、根本的な原因をきちんと理解せずに解決しようとするため、しばし判断するのを怠ってしまうのもまた現状であるかと思います。

そこで、人間関係におけるコミュニケーションの鍵である「まず理解に徹し、そして理解される」という第5の習慣を用いることで、上記のことといった、子供と接する時などに真価を発揮すると7つの習慣では述べられておりますね。

共感による傾聴について

第5の習慣共感による傾聴

私たちはたいてい、相手に対してまず自分を理解してもらおうとする傾向があり、相手の話を聴くときでもまず自分を理解してもらおうとすることが多いようです。

相手の話を聞いている途中でも、次に自分が何を話そうか考えながら聞いていることも多く、ただ話を聞いているか、あるいは話す準備をしているかのどちらかでもあるようです。

そしてその後に、自分が正しいと思う自分の自叙伝(自分の経験に照らし合わせることの例)を押し付けてしまうため、相手の内面で起きていることを理解せずに、そのまま話が終わってしまうこともあるようです。

ちなみに、相手が話しているときの、私たちの「聞く」姿勢には4つのレベルに分けられるというふうに、7つの習慣では述べているようですね。

【一番低いレベル】
 相手を無視して話をまったく聞かない。

【次のレベル】
 聞くふりをすること。「うん、うん」と相づちは打つが、話の中身はまったく耳に入っていない。

【3番目のレベル】
 選択肢に聞く態度。話の部分だけを耳に入れる。
 3~4歩くらいの子供のとりとめなく続くおしゃべりには、大人はたいていこんなふうにして付き合う。

【4番目レベル】
 注意して聞く。神経を集中して、相手が話することに注意を払う。
 ほとんどの人の最高レベルである。


実は話を聞く姿勢にはもう1段階あり、それが「共感による傾聴」と呼ばれる、出来る人がそうそういない傾聴スキルもあるようです。

共感による傾聴とは、相手の身になって聴くことである。

共感による傾聴とは、まず相手を理解しようと聴くことであり、相手を理解しよう、本当に理解したいという気持ちで聴くことであると7つの習慣では述べられております。

共感とはちなみに、相手の視点に立ってみることであり、相手の目で物事を眺め、相手の見ている世界をみることの意味なのだそうです。

共感して聴くには、耳で聞く他に、目と心も使って、相手の言葉の裏にある本当の意味を察して感じとる必要があるようです。

共感による傾聴の強みとしては、相手の正確なデータを得ることが出来ることであり、相手の頭と心の中にある現実そのものに対応することも出来るのだそうです。

そのため、共感して聴くこと自体が大きな預け入れとなるため、相手に心理的な空気を送り込んで心を癒させることも可能のようですね。

4つの自称伝について(共感による傾聴が出来るか出来ないかとで、子供との会話は劇的に変わる)

第5の習慣自叙伝

私たちはえてして、自分の過去の経験と、先で述べた自叙伝を相手の話に重ね合わせてしまう傾向があり、人の話を聞く際には以下の4つの反応をしがちなようです。

【私たちが常に反応しそうな4つの反応】

・評価する・・・同意するか反対する
・探る・・・自分の視点から質問する
・助言する・・・自分の経験から助言する
・解釈する・・・自分の動機や行動を基にして相手の動機や行動を説明する


これら4つの反応は、話の中で自然に出てくるものでもあるため、周りを見ても、ほとんどの人がすっかり以上の反応に脚本づけられていることでしょう。

子どもが友達とは長電話するのに、親の質問に対しては一言で片付けられてしまう点や、親から一方的に自叙伝を聞かされているがために、心を開くまいと思われているのもさすがに無理はないかと思います。

以下は、父親と子供の会話ですが、父親の言葉だけでなく、考えや気持ち、自叙伝的な父親の反応が子供にどのような影響を与えているのかを()に着目してみると、子供の反応が分かるかと思いますね。

父親の自叙伝を一方的に押し付けられた子供と、子供に自叙伝を押し付ける父親との会話例

「父さん、学校なんてもういやだよ。くだらないよ」 (父さんと話がしたい。僕の話を聴いてほしいんだ)

「何かあったのか?」 (関心を持ってくれた。いいぞ!)

「全然現実的じゃない。何の役にも立たないよ」 (学校のことで悩んでいる。落ち込んでるんだ)

「まだ学校の大切さがわかっていないだけなんだ。父さんもおまえの年頃にはそんなふうに思っていたものさ」 (あーあ、また父さんの自称伝だ。僕はそんな話をしたいんじゃない。長靴も買ってもらえずに雪の日に何マイルも学校まで歩いたって話、僕には関係ないんだ。僕の問題を話したいんだ。)

「こんなのは時間の無駄だと決めつけていた授業もあった。だがな、その授業が今一番役に立っているんだ。だから頑張れよ。もう少し時間をかけてみないと」 (時間で解決する問題じゃないんだ。父さんに話せたらなあ。洗いざらい話してしまいたいのに)

「もう10年も学校に通っているんだ。XプラスYなんかやったって、自動車の整備士になるのに何の役に立つわけ?」

「自動車整備士になるだって?冗談だろ」 (ぼくが自動車整備士になるのは、父さんは気に入らないんだ。高校を中退するのも気に入らないんだ。今言ったことを何としても認めさせないと)

「冗談なんかじゃない。彼だってそうだよ。学校をやめて整備士になったんだ。結構稼いでるんだぜ。そのほうが現実的だと思うけどね。」

「今はそう思えるかもしれないが、あと何年か経てば、彼だって学校に行っていればよかったと後悔するに決まっている」 (「教育の価値をめぐる考察」を聞かされる)

「おまえだって本気で自動車整備士になりたいと思っているわけじゃないだろう」 (なんで父さんにわかるわけ? 僕の本当の気持ちなんかわからないくせに)

「ちゃんと勉強してもっといい仕事を探さなくちゃだめだろう」

「そうかなあ。彼はちゃんと将来のことを考えて決めたみたいだけど」 (彼は落ちこぼれじゃない。学校は中退したけど、落ちこぼれなんかじゃない)

「おまえ、学校で本当に努力したのか?」 (これじゃ堂々巡りじゃないか。父さんがちゃんと聴いてくれさえすれば、本当に大切なことを話せるのに)

「高校に入ってもう2年だよ。努力はしてきたさ。でも高校なんて無駄だね。」

「立派な高校じゃないか。有名校だぞ。もっと学校を信用しなさい」 (これはこれは、今度は信用の話か。なんで僕が話したいことを話させてくれないんだ!)

「他のやつだってぼくと同じ気持ちだよ」 (僕の言うことだって信じろよ。低能じゃないんだから)

「おまえを今の高校に行かせるために、父さんも母さんもどれだけ大変な思いをしたかわかっているのか?」 (おやおや、今度は罪悪感で責める気か。はいはい、僕は頭が悪いんでしょう。学校は立派、父さんも母さんも立派、そして僕は劣等ですよ)

「せっかくここまで来て、やめるなんて絶対に許さないぞ」

「いろいろ大変だったのは分かっている。だけど、ほんとに無駄なんだ」 (父さんには分からないだろうね)

「おい、テレビばかり見ていないでもっと宿題をしたらどうなんだ。そんなふうだから・・・」 (父さん、そういう問題じゃないんだよ!そんなんじゃないんだ!もう父さんには何も話さない。父さんなんかに相談しようとした僕が間違いだった)

「もういいよ、父さん。これ以上話したくない。」


共感による傾聴の全体は氷山に例えることができ、同時に4つの段階がある。

共感による傾聴の全体を仮に氷山にたとえるならば、スキルは海面に突き出た一角、いわば表に出る部分ぬ値するようです。

ちなみにこのスキルには4つの段階があるようで、それぞれ以下のように表すことが出来るようですね。

【1番低い第1段階:相手の言葉をそのまま繰り返す】
・別名「積極的傾聴」や「振り返り傾聴」などと呼ばれる。
・人格が出来ておらず、相手との信頼関係がない状態
・こういう聴き方は失礼になってしまい、相手はかえって心を閉ざしてしまう

【第2段階:相手の言葉を自分の言葉に置き換える】
・ただオウム返しにするよりも少し効果的になるが、まだ言葉だけのコミュニケーションの域を出ていない
・ここではほとんど、理性と論理をつかさどる左脳だけを働かせている

【第3段階:相手の気持ちを言葉にする】
・右脳を使い始めるため、父親は子供の言葉よりも、その言葉を口にした息子の気持ちに関心を向けている。

【最後の第4段階:2番目と3番目を組み合わせたものになる】
・相手の言葉を自分の言葉に置き換えるのと同時に、相手の気持ちも言葉にする。
・ここでは、左脳と右脳の両方を使って、相手が伝えようとしている言葉と気持ちの両方を理解しようとしてある


共感して聴くスキルの第4段階まで身につければ、その人に心理的な空気を送りこむことが出来たり、相手が自分の考えや感情を整理する手助けも可能になるようです。

こうして、考え感じていることとコミュニケーションしていることが一致するため、相手はあなたを信頼し、胸の奥底の傷つきやすい感情や考えをあなたに見せても大丈夫であると思うようになるそうですね。

共感して聴くスキルを4段階目まで極めれば、子供との会話もこのように変わる

「父さん、学校なんてもういやだよ。くだらないよ」 (父さんと話がしたい。僕の話を聴いてほしいんだ)

「学校のことでずいぶん不満があるみたいだな」 (そうなんだ。そんなふうに感じているんだ)

「そうなんだ。まるっきり現実味がないし、何も役に立たないよ」

「学校には何も価値もないと思っているんだな」 (ちょっと待って、僕は本当にそう思っているんだっけ?)

「まあ、そういうことかな。本当に役に立つことなんか何も教えてくれないよ。彼なんかさ、学校をやめて自動車の整備士になったんだ。結構稼いでいるんだよ。そのほうが現実的なんじゃないかな」

「彼は正しい道を選んだと思っているんだね」 (どうだろ・・・)

「まあ、ある意味ではそうかな・・・実際、もうお金を稼いでいるんだし。でも何年かしたら、後悔するんじゃないかな」

「彼は間違っていたと感じると思うんだね」

「きっとそうだよ。だってさ、彼が投げだしたものはすごく大きいんじゃないかな。ちゃんと勉強しとかないと社会に出て困るだろう?」

「そうだな、教育は大切だと考えているんだね」

「そうだよ。高校も出てなくて、就職もできない、大学にも行けないことになったらどうすりゃいいのさ。やっぱりちゃんと勉強しなきゃだめなんだよ」
「教育はおまえの将来に重要だと考えているんだ」

「うん、そうなんだ。それでね・・・僕はすごく困っているんだ。ねえ、母さんには言わないでくれるかな?」

「母さんには知られたくないんだね?」

「うーん、そういうわけでも・・・まあ、話していいよ。どうせばれるし。今日さ、テストがあったんだ。読解力のテスト。そしたらさ、僕の成績じゃ小学4年生のレベルらしいんだ。4年生だぜ、高校2年生なのに!」

「だから父さん、僕落第しちゃうよ。落第するくらいなら中退したほうがマシだよ。でも学校をやめたくはないんだ」

「つらいな。どうしていいのかわからないんだね」

「父さん、どうしたらいい?」


共感して聴く姿勢で、子供の反応は一番始めと比べてこんなにも変わる

本心から理解しようと思って聴くと、先の父親と子供の会話はガラリと違うくなり、ここで本当の問題を見誤っとしまうと、相手にいくら助言したところで何も意味がなくなってしまうようです。

以下の見出しは、父親がまず子供を理解することに徹したため、子供との会話は単なる言葉のやりとりから、親子の絆を深める機会にまで発展出来た例になります。

そして、父親と子供は同じテーブルに並んで座るような感じになり、同じ視点から問題を見つめる状況にもなったために、子供は父親の自叙伝を聴いてアドバイスを求める心の余裕も生まれるようです。

しかしここで注意してほしいこともあるようで、子供が論理的に反応している間は効果的に質問して助言を与えることが出来るが、感情的な反応を見せ始めたら、また再度共感して聴く姿勢に戻る必要もあるようです。

傾聴の姿勢に戻った父親と子供の会話

「そうだなあ。こういうことを考えてみたらどうだろう、というようなことはいくつかあると思うが」
「たとえば?」
「読解力をつけるために塾に行くとか。あそこの塾ならそのようなコースがあるんじゃないか?」
「それならもう調べたんだ。夜の授業が週に2日、それに土曜日は1日中なんだ。時間がとられすぎる」

 息子の返事が少し感情的になったのを察して、父親は共感して聴く姿勢に戻る。

「負担が大きいよなあ・・・」
「それもそうだけど、6年生の子供たちにコーチになってあげるって約束したんだ」
「その子たちをがっかりさせたくないもんな」
「でもね、読解力のコースが本当にためになるんだったら、毎晩でも行くよ。コーチは誰かに代わってもらってもいいんだし」
「勉強はしなくちゃと思ってるけど、そのコースが本当に役立つかどうかわからない、だから迷っているんだな?」
「父さん、どう思う?」


そして理解される

第5の習慣そして理解される
「まず理解に徹し、そして理解される。」


理解されることが第5の習慣の後半にあたり、同様にWin-Winの結果に到達するためにも不可欠になるようです。

Win-Winを実現するには、思いやりと勇気の両方が高いレベルで必要になり、相互依存の関係においては、自分を分かってもらうことも重要なのであると7つの習慣では述べられておりますね。

まず人格があって次に人間関係、それから自分の言いたいことを表現していくことが大切なのですが、ほとんどの人は真っ先に、自分の論理がいかに正しいかを述べたてたがる傾向があるようです。

そうではなく、相手の考え方や関心事を最初に深く理解し、自分の考えをはっきり見える形で表現すれば、自分のアイデアに対する相手の信頼は格段に上昇します。

このように、第5の習慣がほぼ完全に身につけることによって、自分の考えをより正確に、誠実な態度で表現出来るようにもなって、周りの人たちにも自分の意見を伝えることも出来るようになるようですね!

最後に:子供以外にも第5の習慣は通用可能です!

第5の習慣実践編

いかがだったでしょうか?

以上で、7つの習慣のうちの第5の習慣「まず理解に徹し、そして理解される」についての中身を、長々とした父親と子供の、会話の部分の引用も踏まえて解説してみました。

子供の本当の内情を理解することをメインに述べてきましたが、「この理解に徹する」習慣は子供以外にも有効であるとも述べられております。

人が本当に傷ついて、同時に深い痛みを抱えている時に、心から理解したいという純粋な気持ちで話を聴いてやれば、相手は驚くほどすぐに心を開くようです。

その人も、胸の奥にあることを話したい傾向があるようで、特に心を閉ざしている人なんかはここで心を開き、自分の本当の思いを全力で打ち開けたい気持ちでいっぱいになるそうですね。

そのため、この「まず理解に徹し、そして理解される」習慣がきちんと身についていれば、相手を閉ざした心を開かせることが容易になる他、良好な日々の日常を送ることだって可能になるようです。

色々と曖昧な表現多めの記事にもなってしまいましたが、第5の習慣の僕なりに解釈した記事が、少しでも役立てられることが出来れば幸いでございます!

今日も読んでいただき、誠にありがとうございました^^