過去プロフィール

過去プロフィール

はじめまして「ゆきじゃ」といいます。
プロフィール記事になりますが閲覧ありがとうございます。
僕は元々ネガティブ思考で洗脳されやすく、ダメダメな人間でした。

現在までの経歴としては

小中高 → 1社目(建設業) → 短大 → 2社目(製造業) → 現在フリーター

という流れです。

フリーターとなると一部は、
「また人生転落してるじゃん!」
と思われますが、
理由があって一度フリーターになっています。


学生時代にはいじめられたり、
また後輩からはなめられたりする日々。
それが原因でテストの成績は学年最下位辺りの繰り返し。

高校卒業後に入社した建設業界では、
力仕事の場面が多かったため、
周りから使えない人材として認識され、
しまいには酔った年配社員に顔面を殴られたことを期に半年で退職。

短大の時は自分の人生をやり直したいがために情報科へ入学、
小中高の学生時代よりマシな日々を送ったが、
家庭も養わなければならなかったためにアルバイトをしながらの短大生活。

しかしアルバイトの時間が長かったのが原因で、
勉強をおろそかにしてしまい、
単位こそ落とさなかったもののギリギリ合格ラインでの日々。

短大からの卒業後、製造業の会社へ入社し、
そこでは1社目の悔いの経験があって忍耐力が身についていたため、
先輩から起こられたりしても落ち込まず、
そこから自分の反省点を見出して自己改善していった結果、
仕事をこなすことができ、
また続けることができました。

しかし会社の経営方針でブラック化していったことが原因になり、
そのことで次々と人が退職、
そして不幸なことに僕を教えていた先輩も退職してしまいました。

僕自身も仕事量が増加していくとともに残業時間の増加、
また昔の価値観を強要してくる上司のパワハラなど、
それらが原因でたまたま会社を休む日が多くなってきました。

「このままでは自分の身が危うくなる!」
そう思うようになって勇気を出して上司へ退職申請、
戦力になっていたので部長に引き留められるものの、
自分のこれからの未来を描いていたため、
色んな方法で言い訳をした結果、
無事に退職することができました。

現在は自分は今後どのような形で生きていくかを模索しながら、
アルバイトしながらフリーターとして今に至ります。

建設業在職時代に顔面をぶん殴られたことが起因で自分の中で限界が生じ、
一度は首つり自殺を図ったことがありました。

僕は友人などの助けや、
哲学、生き方などの本にであったこときっかけで、
ネガティブでダメダメな人間から自分を変えることができました。

そんな自分を変えていった中で、
様々な知識や経験をもとに、
これから発信していこうと思っています。

ここからは僕の詳細なプロフィールになります。

学生時代は泣き虫な子供だった。

僕は山形のとある田舎に生まれました。
一歩歩くとそこは辺り一面田んぼだらけの場所でした。

小学生時代はいつも泣き虫で、
他人から少し頭をたたかれるだけだったり、
少し何か悪口を言われただけだったり、
少し何かものにぶつかったりだけだったりと、
ほんの何もかも少しなんか嫌なことがあっただけですぐに泣いてしまう。
泣き虫な少年でした。

そのためそれを面白がって僕に対して
いたずらやからかいが起こるようになりました。

中学時代なるとそれがいじめにと発展してしまい、
僕をいじめる人間が僕からいじめられたという風に演技を見せかけ、
噂として流れてそれを気に
僕をいじめる人間が増えていきました。

それをきっかけにだんだんとネガティブ思考になっていき、
僕の学生時代の人生はどんどん狂っていく方向になりました。

学年が変わるとそのいじめる人とは別の問題が起こりました。

後輩から舐められるということです。

ちなみに双子の友人のすすめで卓球部に所属していたが、
もともとあんまり上達することができなかったために、
それを知った後輩が僕をなめにかかりました。
その後輩は同時に気が強かったために僕への見下しも強かったです。

高校時代で僕はすでにネガティブな思考だったため、
卓球部をやめて他の部に行こうと決めたのでしたが、
中学時代の同期から、

「卓球部に入らないと殺すからな。」

その中学時代との同期は僕とは違う高校に入っていたのですが、
僕はそのことばが離れられずまた恐れてしまい、
高校時代でも卓球部にはいってしまいました。

高校時代の卓球部は相当厳しいもので、
いわば体育会系といわれるものです。

ランニングした時は最大で20km走ったりと、
陸上部より多く走ったりもしました。

そこでもネガティブ思考だったために先輩とはまともに話すことが出来なかったり、
そして不幸にも僕をなめにかかった後輩も同じ卓球部に入部したため、
僕のことをなめにかかったのを見て、
他の違う出身校の後輩も僕を舐めにかかるようになりました。

部活での嫌なことが3年間続きましたが、そのことが仇になって、
他人に振り回され続けたことがきっかけで、
僕の人生はいったんどん底に追い込まれます。

担任の先生の勧めで建設業へ入社

僕は就職先がなかなかな決まらず、
担任の先生から、

「あなたは忍耐力があるからこの会社いいんじゃない?」

担任の先生に勧められたのが建設業の会社でした。
僕は何もわからぬまま、
担任の先生に勧められたまま入社することになりました。

その後に悲劇が待ってるのも知らずに。

最初入社したての頃、
僕の内の中では「今度こそ自分は楽をしてやる!」と燃えていました。

それは単なる自分の甘い考えでした。

最初研修では電柱を立てることを想定に穴掘りを、
先輩の目線で見られながら掘りましたが、
結果2メートル掘っただけでギブアップ気味に。

そこからどんどん悪化していき、
年配の人の手伝いをするどころか逆に邪魔になっていることが多く、

ついには、

「この豚野郎つかえねえやつだな!」

と言われて年配の人から無視されるようになりました。

そして、遠い場所での工事のために近くの宿に宿泊し、
口の悪い年配と一緒に泊まったその時
鮭に酔った年配から、

「お前俺の顔面殴ってくれ!」

と言われましたが、僕は怖くて殴れませんでした。

言われても断り続けた結果。
酔った年配の人は激怒して僕の顔面をいきなりぶん殴りました。
僕は鼻から血を出し、身の危険を感じたので、
トイレ行きたいですとウソをいい、
両親に電話をして向かわせ、
逃げるようにしてその合宿所から逃れました。

自分をもう一度やり直したいと思い短大へ

建設業での悲劇後、僕は自分の未熟さを思い出されました。
それと同時に自分をまた最初からやり直したいと思うようになりました。

そして20歳の時に短大へ入学、
情報分野で活躍したいと思い情報科を希望しました。

情報科ではプログラミング言語のほかに、
パソコンに関する知識、
学年が上がってくると問題解決の具体的な方法など、
活躍していくうえでの必要な知識を勉強しました。

最初は面白みもあって、
科目ごとの最初に行われるテストはいつも好成績を収めていました。

しかし家庭を養わなくてはならないために、
アルバイトの時間の増加、
そのことが仇となり、
科目ごとに行われるテストは徐々に悪化、
レポートの未提出もだんだんと増えていき、
単位こそ落とさなかったものの、
単位を取得できるギリギリのラインでの合格が多かったです。

そのため同じ学年の年下から、

「ゆきじゃどうしたの? こんなにも悪くなって!」

と少し舐められるような形で声をかけられる事がありました。

時が経ち、
学年の後半に卒業研究を迎えたころ、
担任の先生から課題を与えられました。

チームで解決する課題を与えられ、
クラスで2番目に頭がいい人と組むことになりました。

課題は、

「無人で施設を観光できるシステムを作りなさい」

というものでした。

無人で施設を観光するシステムを作る際、
ドローンを使うことにしました。

また使うものとしては、
ドローンを動かすプログラムと、
それを動かすサイト、
この二つが必要だと二人で考えました。

年下の人はドローンを動かすプログラム、
僕はサイトを作るほうになりました。

高校時代にお遊び気分で、
無料のチャットのカスタマイズ機能で遊んでいたため、
サイトの作る感覚は幸い掴んでいました。

最初は自分でコツコツ作成することができましたが、
途中でわからなくなってしまうことが多かったため、
年下の人に聞いたりなどして頼ることが多かったです。

そして卒業研究当日には、
時々ドローンが目的の場所まで行くときに、
途中で壁にぶつかったりと少し不備があったものの、
無事に発表をすることができました。

しかし、就職活動をおろそかにしてしまったために、
就職先は最終的に担任の先生に勧められた会社に就職することになりました。

科で学んだことと違うが金属会社へ入社

卒業研究終えて短大を卒業後、
僕は担任の先生の勧めである金属会社へ就職しました。

僕は面接時に忍耐力、打たれ強さを強くアピールしてしまったため、
不幸なことに厳しい先輩の下で仕事を覚えることになりました。

1社目に顔面をぶん殴なれてすぐにやめてしまった過去があったため、
仕事を早く覚えなければならないという使命感がありました。

仕事を覚えながらしていく最中、
失敗をしてしまうとすぎに怒られてしまうことがありましたが、
それでもめげずに人より覚えることができました。

自分から指示をまたずに自ら行動したりと、
少しリーダー的な意識を持ちながら行動したりとしました。

先を読んで自分から行動したり、
他の先輩が苦労している仕事を請け負ったり、
厳しい先輩と今後どのようにするかのやり取りなど、

その結果周りの先輩方にも認められていきました。

次第に時が経っていくうちに、
別の部署に夜勤になると同時に移動という形になりました。

別の部署では主に日勤の人達が数物を夜勤で回すという形になっているため。
僕は夜勤で数物をひたすら回す仕事を請け負うことになりました。

いわばルーチンワークという仕事内容です。

暇な日の時は少しでも日勤の人の大変さを少しでも減らすため、
切粉の掃除や液の補充などを行ったりしました。

夜勤はある時を境に終わりを告げてしまいました。

日勤のベテラン社員が一気に3人辞め、
僕は急遽夜勤から日勤になったのです。

人手が足りなかったため、
僕にはすぐの即戦力化が求められました。

なんとか必死に覚えたのですが、
その時は帰って寝るだけの生活が続きました。

覚えながら仕事をしていき、
失敗してしまったときは怒声は先輩ではなく、
全て僕に向けられました。

とてもつらい日々でした。

その時期は仕事の繁忙期だったのだが、
忙しさと同時に仕事を必死に覚え、
また上司からの怒声もあったこともあり、
会社を休んでしまった日が多かったです。

それを乗り越えた後は、
夜遅くまでかかることがないように、
加工するものごとに紙に書いたりなどして、
記録として控えるように工夫しました。

このやり方をして仕事を早くしたため、
上司からは、

「お前早いな。」

と最初は認めてくれたましたが、
逆にそれが仇となって仕事が増え、
残業時間が逆に増えてからは今度は逆に、

「お前はだから仕事がおそいんだよ。」

と逆のことを言われるようになってしまいました。

そのように言われてからは、
たとえ予定より早く進んでいても、

「仕事があるんだったら休みの日もやればいいのに。」

と休みの日には休むことを許されない感じでした。

僕にはほかにも成し遂げたいことや夢、
5~10年後の自分の姿を思い描いていました。

「このまま会社にいては仕事をしながらでは達成はできないな。」

そう判断した僕は退職を決意しました。

部長や係長などからは相当引き留められましたが、
それでも自分の意思を貫き、
無事に退職を迎えることになりました。

在職中に僕にあたってきた上司は、
僕が見た限りだと、
「代わりはいくらでもいる。」
そのような感じに見て取れました。

その後の僕の人生について

僕は社会人以降に、
1社目を4か月で退職、
その後短大で2年間、
2社目を3年と半年を得て退職、
と経験してきました。

2度失敗してしまった感じもありましたが、
僕はそれでも後悔はしていないです。

在職中にいろいろと知ることができ、
また僕が今後このような生き方をするであろうなと、
その後の人生が明確になったためです。

今現在はフリーターとなってこのような形でブログを書いていますが、

「僕はこのようにして今後生きていく!」

と決まったのと同時に転職活動を行って、
また社員に戻って僕の生きがいにするし、
あるいは別の生き方にもなるかもしれないし、
どのようになるかはこの後の計画次第ではわからないです。

フリーターといえば世間的に低く見られますが、
フリーターのままでこの後生きていくとも考えておらず、
むしろいったんフリーターになり、
本当に培っていきたい知識を身に付けていく感じです。

僕の過去についてはここまでの記述となりますが、
この後の人生の生き方について参考になれば幸いでございます。

長々と文を書きましたが、
ここまで読んでくださりありがとうございます。